昔のものが良く感じること

最近、クリスマスだったから友達とビクトリアのダウンタウンでやってたビクトリアの歴史・クリスマスツアーみたいなのに参加してきた

クリスマス色に染まった古い町並みを歩きながらビクトリアにまつわるいろんな昔話が聞けてすごい良かった

こういう結構昔の話を聞くと毎回、「昔の人たちはいいなあ、進路とか就活とかとかがなく、スローライフが送れて」みたいな感じに思っちゃう

もちろん、当時は当時で現代とは全く違う悩みとか苦労があったんだろうけど、それがわかっててもなんかあこがれてしまう

昔の生活にあこがれるだけに限らず、人はなぜか一昔前のものに惹かれたり、昔のものを好いたりする性質があると思う

例えば身近な例だと、自分たちの世代はポケモンのゲームといえば上下左右の四方向にしか動けなくて、それでこそ「ポケモン」って感じがするけど、今のポケモンはどの方向にも動けるらしい

明らかにどの方向にも動けた方がゲームとして良いことだろうに、自分も含めて自分の世代の友達は絶対上下左右の方がいいよ~、という

他にも、インスタントカメラ、レコード、カセットテープ、古民家とか、現在アップデートされて便利なものがあるにもかかわらず古いものを好くことがある

古き良きという言葉さえもあるし

でも、よく考えると古いものが良いと思えるためには、古いものが「古い」ものであるために、そのものよりもっと便利でアップデートされたものがなきゃいけない

新しいものが出てきて初めて、「あの古いものは不便だったけど良かったなぁ」と思える

ここで思ったのが、人は生活を便利にするために常に新しいものを生み出していくけど、同時に生み出した新しいものを否定するように古いものを良いと感じるのは、不思議だし矛盾だということ

DNAとか体の機能みたいに、割とすべて効率的にきれいに自然と設計されてる人間にしては、この矛盾は非効率的で不自然なことだなと思った

文章がまとまってないけど、要は人間って不思議だなぁ